本を読んでいて「あぁ、この言葉、沁みるなぁ」と感じる瞬間ありますよね。
年間100冊以上、生涯で1トンの書籍を読むことを目標にしている私はそんな瞬間が結構あります。
その中で感じたこと、思ったこと、考えて悩んだことを皆さんと共有して、いろんな声を聞けたら嬉しいなと感じて、少し書いてみようと思い立ちました。
うまく伝えられるかわからないし、自己満足な部分も多いかと思いますがお付き合いください
学校の「勉強」だけでなく、人生での学びについて

気づくこと。一生、自分の成長に気づき続けること。
「学び」とは、そうやって、自分を育てることなのだ。
引用:日日是好日 森下典子より
学ぶ
勉強する
そう考え、物事を捉え始めると「賢くなる」「偉くなる」「専門的になる」など目的が『上』に向くことに集中しがち。
でも本当の学びというものは日々の生活の中でも、人との会話や出会いの中にも満ち満ちているもの。
でも、それに気づき、学び、成長し、それに気づく。
その繰り返しの日々にこそ、豊かさという人が本来求める物(本質や道理、倫理)があるのではないかと何度も繰り返し、読み返し、学びに気づいた瞬間でした。
ゼロの自分をひらく:自分を飾らず、奢らず、慢心せずに

ものを習うということは、相手の前に、何も知らない「ゼロ」の自分を開くことなのだ。
引用:日日是好日 森下典子より
どうしても自分の知らない世界や技術・知識の話がでたり、他人に言われると「指摘された」「そんなことはわかっている」斜に構えたような態度や考えが浮かんでしまうもの。
でも、そんな時こそ自分の気持ちと向き合い、飾らずに「何も知らない自分」を相手に拓き、教えをこう。
物事をそうやって習い、真似ぶ姿勢が本当の学びに繋がっていくんだろう。
その道のりでゼロの自分を正直にひらけるか?言っていることは理解できても、実際に行動に移すとなると様々な感情が邪魔をする。
ゼロの自分をひらく
簡単でありながら難しい。
季節の変化を雨で、葉で感じて味わう:それを文字で味わう贅沢さ

六月の雨音は、若い葉が雨をはね返す音なんだ!雨の音って、葉っぱの若さの音なんだ!
引用:日日是好日 森下典子より
秋雨の音はしとしと
梅雨の音はポツポツ
なぜ音が違うのか?
それは秋は葉が枯れ、梅雨は若い葉が芽吹いていく季節だから。
それを雨が音にする。
その音をただ感じ、味わう。
梅雨に雨が降るのは当たり前。
葉に雨があたれば音がするのは当たり前。
でも、そんな当たり前の中に隠れている変化に気づき、ただそこに在る自分と自然を味わう。
それを文字で表現できる素晴らしさに感動するのは私だけではないはずです。
季節はただの気候ではない。人生にも季節がある
季節は、春夏秋冬だけではなかった。
人生にも、季節があるのだった。
引用:日日是好日 森下典子より
よく心の状態を晴れ模様、雨模様などと表現する。
でも、人生にはターニングポイントなんて言われる節目のような、大きくうねる様な瞬間や色がある。
その様子を人生にも季節があった。
という主人公の気づきを通じて、ゆっくり丁寧に伝えようとしてくれる作者の方の思いが感じられた一文で、純粋に綺麗な表現と思います。
考えすぎず、ただソコに在るということ

「やめる」「やめない」なんて、どうでもいいのだ。
それは、「イエス」か「ノー」か、とはちがう。
ただ、「やめるまで、やめないでいる」それでいいのだ。
引用:日日是好日 森下典子より
どうすればいいのかわからない、迷路に迷い込み、もがけばもがくほど絡まってしまう糸のように逃げ出したくても逃げ出せない。整理しきれない感情、思い、考えに取り憑かれてしまったときに思い出したい言葉。
完璧にやらなくてもいい
正しいか、正しくないかでもない
答えなんて見つけなくてもいい
ただ、イマココに
優しい言葉。
足るを知る:只今を生きる。それだけが難しい。でも、儚く大切なこと
どこまで遠くへ行っても、そこは、広がった自分の程野だった。
ずーっとここにいたし、どこかに行く必要もなかった。
してはいけないことなど、何もない。
しなければいけないことも、何もない。
足りないものなど、何もない。
私はただ、いるということだけで、百パーセントを満たしていた。
引用:日日是好日 森下典子より
今を生きる
それは…
- ガムシャラに生きる
- 今、その一瞬を無駄のないように懸命に何かを成そうとする
- 落ち込んだり、感情のやり場がない時でも何か成果を出そうとする
そうしなければ、何かを満たさなければ、何かを生み出さなければ。
「ねばならぬ」
今に向き合おうとするとハマってしまう。
そんな自分を含めて、ただいる。ただ、そこに在る。
あなたはあなたの正直に生きていけば、いいじゃない。
そう言われているような一節でした。
そう感じている時点でどこか正直に生きられていないのかな。
今、記事を書いていて感じました。
イマココ二:マインドフルな今を生きる。その根底になる一節

私たちはいつでも、過去を悔やんだり、まだ来てもいない未来を思い悩んでいる。
どんなに悩んだところで、所詮、過ぎ去ってしまった日々へ駆け戻ることも、未来に先まわりして準備することも決してできないのに。
過去や未来を思う限り、安心して生きることはできない。道は一つしかない。今を味わうことだ。過去も未来もなく、ただこの一瞬に没頭できた時、人間は自分がさえぎるもののない自由の中で生きていることに気づくのだ
引用:日日是好日 森下典子より
その通り。
- 不安の90%以上のことは起こらない。
- 他人と過去は変えられない。未来と自分は変えられる。
- 好きに努力は敵わない。
なんて、よくSNSやビジネス書で読むし、その時もなるほどなって思うし、否定もしない(むしろ、肯定している方だし、だから読書や筋トレ、新しい挑戦としてブログなどに励んでいるわけだし)。
ただ、そんな「頑張っている自分」に少し疲れを感じた時、立ち止まりそうになった時に選択肢の一つとして自分と向き合う時間の大切さを思い出してほしい。
その時に感じている想い、生まれている感情。
それを味わう。
そして、自分の感じるままに(それは努力だったり、学びだったり、休憩や怠惰かもしれないけれど)、たった一度の限りある自分自身の人生を生きていく。
それが難しいんだけどね。
努力とイマココ二の両立っていろんな本を読んで、学んで、吸収しているつもりでも、実践するのはものすごく難しい。
でも、それも今を生きることに全て繋がっている。
だから、自分は自由なんだな。
そう振り返る、立ち返るために必要な、今を頑張る人にこそ読んで味わってほしい文章です。
教えるということ:教えないことで学び、気づく喜びを奪わない
「もし私だったら、心の気づきの楽しさを、生徒にすべて教える」・・・・・それは、自分が満足するために、相手の発見の歓びを奪うことだった。
先生は手順だけ教えて、何も教えない。教えないことで、教えようとしていたのだ。
引用:日日是好日 森下典子より
今の時代、指導する立場になると丁寧に全てを教え、伝え、できるようにすることが指導者と生徒の双方に求められてしまう時代。
そんな中でも背中で語る、目で盗むといったような古臭い考えかもしれないけれど、生徒を信じて待つ。
そして、自ら成長し、自ら学び、自ら気づき昇華していく。
その過程をともに共有し、喜び、学んでいく
もちろん、その時に「なんでわからないんだ!」「見てればわかるだろ!」のような感情や発言があれば、完全にNGだろうし、指導者側の器の小ささや未熟さ、余裕のなさが手に取るように相手に伝わるだろう。
何かを教えるということは、相手を信じて待ち、ともに今、学び合うことに喜びを見出せる関係になること。
そのためにはお互いを尊重し合うような、相手を待ち続ける忍耐強さ、きっとそれでも学びがあるさと思い合える関係性がないと成り立たないんだろうな。
厳しく教えるでも、優しく教えるでもない。
教えない。
まとめ

日日是好日は小説だけでなく、映画にもなっているし入口はなんでもいいので是非一度は読んでほしい本の一つです。
なんだか疲れた時
人生に迷った時
ふと休憩したくなった時
そんな誰にでもある瞬間を「ただ、味わいなさい」と優しく言葉をかけてくれるような小説です。
たまには自分の好きなお茶とお菓子を用意して、そんな時間を作ってみてもいいのではないでしょうか?
きっと人生の中でも贅沢な時間となるはずです。
ぜひ。
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